私の快楽主義 --03.03.24


3月20日に戦争が始まった。


21日に、2回目のピースウォークに行ってきたが、歩きながらちょっとヤバイかもと思った。
わが脳内に甘美なる「戦争始まっちゃったよ的自己憐憫物質」や「自分が正しいぜ的ヒロイズム物質」が分泌されていることに気がついたからだ。

特に後者って、ブッシュ君の脳内に分泌されている物質といっしょ???

 

ぎょえ〜〜〜〜〜! えんがちょ!


くわばらくわばら。

急いで帰ってきて、それ以来アタマを冷やしている。殺菌せねばな。

ちなみに、ピースウォーク自体を否定しているのではなく、参加しているボク個人の問題。もうちょっとで「反対のための反対」スパイラルに落ち込むところであった。これもカラダを動かしたからこそわかったことではある。

つか、「デモが世界を変えたためしがない、だからムダさ」とクールなメールをくれる人がいるが、確実にある部分で影響を与えはじめている気はする(今回は)。世界の反戦ムードがアメリカ世論にも影響を与えはじめている。 やっぱりやらないよりやった方がいいかなと個人的には。ただ・・・日本人には向かないアピールの仕方なのか、日本の参加者、世界的には圧倒的に少ないね・・・アメリカ追随 & 唯一の被爆国なのにね。

 



前回の日記で「戦争反対」を当たり前に表明してから、いろんなメールが来る。

賛同もあるが、批判もある。
風当たりがきついとめげるが、自分がし始めたことだ、仕方がない。


開戦後、戦争容認派からのメールも増えた。
開戦してから態度を決めた人が多かったのかな。いろんな言説が出揃うからね。情報操作も強烈になるし。




予想はしていたが「いいものを食べ、いい生活をし、最大限アメリカ的生活を享受しているくせに、おまえが安易に戦争反対とかいうな。気まぐれでデモなんか参加するな」というメールも来る。


アメリカ的生活って?
それが(変質してきているとはいえ)民主主義・資本主義・自由、とまとめていいのなら、まさしくボクはそれらを享受している。享受しているからこそその精神に乗っ取り、人生を楽しみ、思ったことを自由に発言をする。それが享受に対する感謝だ。

たとえそれらの享受を守るための戦争だとしても、現在それは非常に理不尽に行われている。自分の意に添わない国連決議なら蹴る、という態度は民主主義総本山のすることか? 例一つとっても、それはもう享受しているものとは変質している。だからきちんと批判したい。批判の方法はいろいろあるが、今回は初めてデモ(というかピースウォーク)という形態にも参加してみた。そういうこと。
「享受しているなら有り難くいただいておけ、アメリカに文句を言うな」ってメールは、あまりに独裁者の意見っぽいので無視。




というか、ボクは享受しすぎって意味?
フレンチ食べたり寿司食ったり海外行ったり沖縄行ったりライブ行ったり犬飼ったり…‥。

うはは。そうですよ。ボクは人生を楽しんでいる。
消費とか物欲の楽しさは阪神大震災経験以降ほとんどなくなったが、もっと精神的に楽しめるようになった。
楽しむ技はわりと上手かもしれない。皆さんには見えないところでつらい思いや地道なこともしているが、人生はおおむね楽しい。そしてこれからも「人生はいろいろ楽しいよ」ってこのサイトで伝えていきたい。


そして、誰でも人生を楽しむ権利があるからこそ、それを強制的に取り上げる「人殺し」には断固反対だ。


人生はいろいろ楽しい。
消費快楽的ではなく、精神快楽的に。
生きていると楽しいことはいっぱいある。
人それぞれ、それぞれの楽しみを見つけて生きている。
つらいこともあるが、おおむね楽しい。
生まれただけでももうけもの。
その人生を楽しむ権利を取り上げる権利なんて誰にもない。
子供からは特に。
だから人道主義ではなく快楽主義として戦争反対。人殺しも反対。


 

「あのなーさとなおよ、アフガンやイラクの人たちは『人生が楽しい』なんて思ってませんよ。人生は苦しいばっかりですよ。圧倒的に物が不足しているし、圧政にあってるし、病気も蔓延してますよ。あなたの身近なリストラされたサラリーマンだってそうですよ。ひきこもっている青年だってそうですよ。普通の人はそんなに楽しくないの。だいたいそんなに楽しむお金持ってないの。あなたは特別なの。あなたは恵まれすぎてるからわからないのよ」って?

 

 


だったらもっと、人生の楽しさを伝えなくちゃいけないじゃないか。





人生はいろいろ楽しいのだ。それをもっともっと伝えないと彼らは絶望しちゃうじゃないか。

もちろん人生がうまく行っていない人がたくさんいるのは知っている。明日の食事に困る人、明日の薬代に困る人もいるだろう。思わず絶望したくなる瞬間を迎えている人もいるだろう。
でも、 絶望や自殺や引きこもりを止めるのは同情や理解ではきっとない。不幸をわかったつもりになることでもきっとない。それらを救うのはきっと人生の楽しさだ。生きていると楽しいこともあるかも、外に出るとうれしいこともあるかも、あんなこともしてみたい、こんなこともやってみたいと思うから救いがあるのだ。

つか、ボクだけが人生を楽しんでいるんではあるまい?
そういうあなたは楽しみたいと思ってはいないのか?
不幸に見える人たちに気持ちを寄り添わせているうちに被害者意識が出てきてないだろうか。



ボクは自分ができる範囲で精一杯人生を享受しようとしている。
読者から見たら贅沢に楽しんでいるように見えるかもしれないが、お金をかけるところが違うだけだ。たとえば去年、維持費が払えなくて車を手放した(笑)。車のない生活だ。もちろんもっと貧乏な人に比べればリッチだが、ボクなりにギリギリの生活ではある。って別に「物質所有=人生の楽しさ享受」ではないので話を元に戻す。


ボクは自分ができる範囲で精一杯人生を享受しようとしている。
物質や消費の楽しさではなく、もっと精神的な楽しさを。
その享受の一端をみなさんにさらすことで、人生はわりと楽しいということが伝わるなら、人生ってつまらないと思っている人に「捨てたもんでもないかも」と思わせられるなら。こんなサイトでも意味があると思っている。



よく、今回みたいな不幸なことが起こると 「彼らのために自分の楽しみや欲望を抑制して、彼らが少しでも幸せな生活が送れるように支援したい」的な発想をする方がいる。


それはそれで尊いと思う。
相手の身に寄り添って、相手の不幸を感じとって、親身になって支援する。


ただ、それ、一生続けられるか?
つま先だって背伸びしてないか?
どこかに無理がないか?


自分の楽しみや欲望を抑制するのは(ダイエットがたいてい失敗に終わるように)よっぽどの人でないと長続きしない。
ダイエットは相手が「ぜい肉」だからいいが、支援する相手は生身の人間だ。途中で放り出したらどう思うだろう。支援の仕方によってはこちらを頼ってしまって自立不可能な場合だってある。

 

「ワタシは一生続けますっ」


うん。その志は疑わない。
でも、 それがよっぽど自然でない限り、いろんなところに無理が出る。介護する人が介護される人より先に倒れるのは日常茶飯事だ。志だけで続くものでもないとボクは思うな。

 


って、なにが言いたいかというと、自分の人生はちゃんと楽しもう、ということ。

楽しんだ上で、自分に出来る範囲で長続きするサポートをすればいいとボクは思う。



戦争で苦しんでいる人がいるんだから私も楽しんではいけないのではないか、と考える人がいる。
地球上に飢えている人がたくさんいるのだから私も贅沢に食べてはいけないのではないか、と悩む人もいる。
こんなときに遊びに行くのは不謹慎かも、と取りやめる人もいる。



わかる。

でもね、そういう「寄り添い方」って、結果的に相手を憐れんでないかな。

もしボクが飢えていて「お気の毒だから私もご飯ひかえますね」などと誰かに言われたら激怒するな。

バカにするなよ、と。
ボクを「尊厳あるひとりの人間」として扱えよ、と。
上から見てむやみに変な同情するんじゃねぇぞ、と。

あなたは、深く同情して相手と苦しみを分かち合う行動をとる「自分」が好きなだけなのだ。

真の意味で苦しんでいる人は「みんなにも同じように苦しんでほしい」などとは絶対に思わない。

 



だから、自分の人生はちゃんと楽しもう。

楽しんだ上で、自分の問題意識に沿って、最大限の支援をすればいい。




ボクはピースウォークも行くが、ストーンズのライブも行く。
飢えている人がいっぱいいるのは知っているが、今日もご飯は大量に食べる。
戦争で死んでいる人のことを悲しみながらも、一方で楽しい音楽を聴く。

与えられた人生は最大限楽しむ。

それが生んでくれた親に対する感謝だし、与えられた人生の権利だし、そういう人生を与えられなかった人たちに対しての「義務」でもあると思う。

そういう人生を与えられなかった人の気持ちもわからないくせに何を言うって?
わからないに決まっている。他人の気持ちをあなたにはわかるわけ?

わかろうとするのは大事だが、わかったふりするのは偽善である。
他人の痛みは、結局他人にはわからない。

だから、同情とか理解も大事だけど、まず与えられた自分の人生を、後ろめたく思うことなく、ちゃんと楽しむことから始めた方がいいと思うのだ。

 

 

 

ボクはこれからも快楽的に生きていくと思う。
快楽的に生きることと、戦争反対を願いながらデモしたりアフガンの子供に寄付したりすることとは、ボクの中でなにも矛盾がない。だから、気まぐれでデモに出かけたわけではない。

 



自分の人生を精一杯楽しんでこそ、ヒトを助けられる。

 


ボクは、そう思う。


 

 

 

p.s.1(複数メールに私信)

ボクはアメリカが嫌いじゃないですよ。
世界の最強国にソ連ではなくアメリカがなってくれて良かったと思ってます。マジで。
だからこそ、尊敬できる国であってほしい。
今回の行動はまるで尊敬できない。20世紀の2度の大戦の犠牲から生まれた国連憲章をいとも簡単に捨ててしまった。フセイン政権打倒の内政干渉は客観的には犯罪だと思う。たとえイラクを民主化で楽しさを享受できる国にするという結果論が正義だとしても、やり方が違いすぎる。

でも世界にはこれからもアメリカは必要でしょう。 もちろん、日本にも。

ただ、アメリカは親切心から日本に軍隊駐留しているのではないですよね。
日本を自分で守れない国にしたのもアメリカ(敗戦国だから仕方ないが)。
アメリカがフセイン政権を軍事面・財政面で支援していたのは歴史的事実です。日本もいまは支援されているけど、イラクのようにいつ切り捨てられるかは予想できない(アジア戦略上重要でなくなった時には切り捨てられると思う)。
ええ、日本を守ってくれるアメリカ、なんて(今は重要かもしれないけど)、基本的に幻想かな、と。

そのとき日本は本当の意味で独立できるのだろうけど、混乱と深い痛手を負うでしょうね。
独立とはそういうものなんでしょうけど。
とりあえず「日本の独立国としての理念」をいまからアピールしとかないと、アメリカに切り捨てられた時点で存在意義を失うとは思います。

 

p.s.2(複数メールに私信)

北朝鮮が攻めてきたら?
怖いですよ、そりゃ。
というか、アラブ諸国の反対を押し切ってイラクを攻撃したアメリカだから、日韓中が反対したとしても北朝鮮先制攻撃に踏み切るかもしれない。
在日朝鮮人の友人・知人の顔が浮かぶ。
こんないい奴らを生んだ民族がすべて悪だなんてあり得ない(あたりまえ)。ならずもの? 何をするかわからない国? コミュニケーションの手は本当にもうひとつもないの? 考え尽くしたっけ?
やっぱり市民(友人の父母祖父祖母)を犠牲にする空爆は(その精度が高いとしても)反対。特にイラクと違って志気が高い可能性があるので、かなりの犠牲を生むと思う。

向こうが攻めてきたら日本が防衛するのは当たり前でしょう。ニコニコ殺されることはない。ただ、報復するとなると、ボクは、迷ったあげく、やっぱり反対かも(自分の子供が殺されたと仮定しても)。
憎しみの連鎖をどこで断ち切るか。それは、どんなに悔しくても、最小限の被害のときに断ち切らないといけないとボクは思う。で、それは一回目の被害のときなのでしょう、きっと。

もちろん感情では割り切れないですよ。アマアマの考えと笑う人もいるでしょう。でも、アマアマではなく、もっとも勇気のいる答えだと思うな、きっと。
911の時にアメリカに「報復するな!」と発言した人はみなそういう覚悟だったはず。

そうは言っても、やられるがままだと二回も三回も攻めてくるかもしれない。笑って殺されているか。

現実を考えると「世界の警察」が必要でしょうね。
いきなり銃を乱射する人を「なくす」のが目的で。
その役は、いま現在では国連がするしかないと思います。協力かつ強力な国連軍が悪いことをする人(国)の抑止力になるようにする。それは必要でしょう。そしてそれは一国(アメリカ)がやるべきではない。一国が勝手に正義を語って銃を乱射しだしたら怖いからです(湾岸戦争当時のべーカー国務長官は『アメリカは世界の警察にはならない』と言って国際協力を取りつけ国連多国籍軍を組織したんだけど、そういう過去の英知をブッシュが壊してしまった)。
あとはそれが間に合うか、という現実問題が残るだけ(←大きいがな!)

世界の警察が世界の協力体制のもとにちゃんと機能し、武装解除が地球規模で進み、お互い監視しあうシステムも出来、遠いいつの日か、すべての武器がなくなる日がくるのが理想の理想でしょう。
単なる理想論かもしれないけれど、こういうことに関してはあえて理想を語りたいとボクは考えます。考えが変わるかもしれないことを前提に、だけど。

 


 


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