アラーキーが目にしみる  --97.12.15




先月くらいから、極私的アラーキー・ブームが訪れている。

僕の中ではいったい何度目のブームになるのだろうか。
たしか3度目のマイ・ブームなのだ。


あ、アラーキーについてはご存知ですよね?写真家・荒木経惟(のぶよし)。 自らを「天才アラーキー」と名乗るとんでもない人物……


1度目のブームは結婚前だったかな。独身の頃。もう6年前くらいになるだろうか。

六本木の青山ブックセンターで写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」(新潮社)に出会った。
あの時はたしか深瀬昌久の写真集「父の記憶」(IPC)と一緒に買った。
両方とも立ち読みしている間中涙が出て出て困った作品。赤くなった目を店員に気づかれないようにおずおずとレジに持っていったのを昨日のことのようによく覚えている。

いやぁ、なんとも感動的な2冊であるのだ。

ご覧になったことがない方がいらっしゃるなら2冊とも「ゼヒ!」とマツダのCMみたいにお勧めしてしまう写真集。
深瀬昌久の「父の記憶」は一人の男が老いて死んでいくまでの時間を冷徹な目で追ったドキュメンタリーであり父親に対する愛情の発露でもある。素朴だがとても雄弁な写真が続き、見終わったあと人の生と死について深い感慨におそわれる。涙なしには見れない写真集だ。

「父の記憶」がよく出来た私小説とするなら、一方のアラーキーの「センチメンタルな旅・冬の旅」は極私小説である。
「父の記憶」は対象物である父親との距離感がまた感動を呼ぶのだが、そんな「対象物との距離の取り方」がここには全くないのだ。対象物そのもの。そして日常そのもの。なんじゃこりゃ?である。

深瀬の撮る写真が人生という時間を「点」で撮っていったのに対して、アラーキーは「線」で撮っていく。「日常のすべての時間を撮り続けっぱなし」みたいな感じなのだ。

ちょっと写真観が変わるソウグウであった。




2度目のブームは結婚したての頃。

これから一緒に生きていくことになった女性・ゆうこはアラーキーの写真をちゃんと見たことがなかったので、見せた。
感想は聞かなかったが、ズルズル鼻を鳴らしていたし、いくつか出ているアラーキーの他の写真集もむさぼるように見ていたからきっとかなり気に入ったのだろう。

僕もなんだか当てられて、またアラーキーの「濃厚なる日常」にはまりこんで行ったのだった。




で、3度目の今回。

11月に荒木経惟のインタビュー自伝「天才になる!」(講談社現代新書)を読み、それと同時に刊行中の「荒木経惟写真全集」(平凡社)を購入したのがきっかけ。

久しぶりにセンチメンタルな旅シリーズに涙し、全集も賛し否ししながら熟見した。




なぜこんなにアラーキーの写真は心に届くのだろう。

本当になんでもない写真なのである。
普通のオートカメラで撮った、なんでもない写真たちなのである。
なんで僕たちが普段撮っている写真はぜんぜん面白くないのに、彼の写真は心にまで忍び寄ってくるのだろう……


それが今回やっとわかった気がする。

例えば自伝「天才になる!」の中にこんな一節がある。


いまの若い奴の写真が面白くないのは、奴らの撮っているのは私的な関係性じゃないんだ。何かの記号なんだよ。みんなバラしたくないとこバラしてないじゃない。まあ、バラせばいいってもんでもないけど。私生活撮ってたって、きわどいの出してないだろ。
(中略)
それとなんか、生きることっていうんじゃないけど、生活っていうことをすごく無駄にしてるんじゃないか、って思う。どういうことかっていうと、自分に関係ないこと撮ったってしょうがないだろ。だって、時代の顔だからってアイドルの顔撮るんじゃなくて、そんなのより、自分の女の子撮った方がいいだろう。時代を切るとかいって、時代のための奴隷になることはない。奴隷になるんだったら、惚れた女の奴隷になったほうがいいじゃないか。
(中略)
うん、だから、写真において面白いのは、もう絶対に私的関係しかないんだよ。自分の人生を面白がるっていうんだったら、いまこの時点において関係していることがいいじゃない。
だって、例えば(松田)聖子ちゃんが離婚記者会見から脱出して、成田の動く歩道をブス面して行くのをしつこく追っかけて撮って、これが時代の肖像だって言ったってつまんないだろう?まあ実際そういう奴がいればまた面白いけど、それもいなかっただろう?そういうのに対して自分の能力を費やしちゃうのは、オレは損だと思うわけだよ。そんな事件あったら、そのテレビ見ながら女口説いて写真撮っている方がオレはいいな。



なるほどそうなのか。

彼は自分の日常こそあらゆる対象物の中で一番面白いものだと心の底から思っているのだ。

例えば、僕が撮る写真は日常のそれではないことが多い。
イイコトがあったり、トクベツナコトがあったりしたら、撮るのである。
旅行に行ったり友達に会ったりしたときに撮る。
つまりどちらかというと「非日常」を撮っているのだ。

彼は違う。

日常こそ、自分が密接に関係している「単なる日常」こそ、一番面白いと思っているのだ。そして撮り続けている。

なんの雑誌だったか忘れたけど(たしかインターネット系の雑誌だった)、こんなことも言っていた。



インターネットって俺ぜんぜんわかんないんだけどさ、自分の日記を公開する奴が増えているんだって? みんなやっと気付いてきたんじゃないかな。 一番大切なもの、面白いことは日常にあるんだってことにさ。



アラーキーの写真は、ある意味、キタナイ。美しくない。
でも、それがこんなに魅力的に見える理由は、これだったんだな。

彼は、「自分の」日常を、「自分の」人生のなんでもない風景を、心の底から愛しているのだ。
だからこそヒトの心に届く。かけがえのない魅力を放つ。

借り物ではないからだ。撮っている彼自身の体臭までプンプン匂ってくるからこそ、他人の心にひびくのである。



そういえば同じ雑誌でこんなことも言っていた。


いい写真が撮れない奴っていうのは、写真が下手っていうよりも人生が下手なんだ



んん〜……



こうしてアラーキーの濃厚な日常を見ていると、僕もまだまだ人生が下手くそだなぁと、がっくりくるのでありました。






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