ベッドにて星を想ふ  --98.01.11




ちょっと体調をくずしていたので、久しぶりの「雑談な日常」です。

体調をくずした、といっても病気になったわけではなく単に仕事の疲れがドッと出ただけ。正月休み、何も考えずに長々と寝ていたから逆に元気になったくらいで。
お見舞いメールをくれた方々、ありがとうございました。

ところで。
この年末年始で書きたいことがいっぱいあった。

でもこういうのってそれを思った時に書かないとなかなか書けないんだよね。

  ・ダラシナ系初詣の恐怖
  ・定食屋「吉兆とたん熊」
  ・いまさらながらに伊丹十三

の3つを昨日書きはじめたんだけどなんだか気が乗らなくなってしまった(ネタはわりと面白いんだけどなぁ)。もう年末年始の話は古いしなぁ……とか思ってだんだん後追いで書くのが億劫になってしまったのですね。まぁそのうちチラッと触れることもあるでしょう。





だけんども!
たとえ10日以上前の話でも、これだけは書いておかなければならないのである。

年末、12月30日に星新一が亡くなってしまったことだ。

亡くなってしまったことはしょうがないのだけど、それに対する新聞・TVなどメディアの扱いが小さすぎると思うのだ。ニュースで流れてから一週間くらいたった今にいたっても驚くほど彼に触れた記事が少ないのだ。
これにはどうにも納得がいかないのである。




いきなりカゲキな結論を述べるのも新年早々どうかとも思うが、

星新一は国民葬にしてもいいのではないだろうか。

なのである。ボクの結論としては。




そりゃぁね、勲章とか取ったわけではないかもしれないけど、星新一がいまの30、40代、ひいては日本人すべての潜在意識に与えた影響って言ったら、そんじょそこらのノーベル賞作家や歴代首相の比ではないと思うのである。


井戸の中のカワズでしかなかった日本人に宇宙の広さを教え、
フクザツサを尊ぶ日本人にシンプルの快感とはどういうことかを教えた。


そして。
「平明な文章のすごさ」を広く日本人に知らしめた。

これが日本のこの2〜30年の発展にどれだけ貢献したことか。
識者と呼ばれているわけのわからない人々はそれをちゃんとわかっているのだろうか。(わけがわからない人々がわけをわかっているわけがないとわかってはいるのだが)




20年くらい前、日本人はまだまだ小林秀雄の亡霊におびえていた。

日本人の多くは、小林秀雄みたいに難しい文章を書くのがエライ人と思っていたのである。

ちょっとおませな高校生などは
「なんだお前、まだ小林秀雄の『モオツァルト』を読んでいないのか、オコチャマだな、お前」などと自慢したりしていた。

それをある種の向上心として、そしてある種の美学として、肯定はしますよ。

でも、むずかしいことをむずかしく書くことがどれだけカンタンか

小林秀雄の完成された文章を非難するつもりはないけれど、できうれば明瞭に平明にその思想を表現してほしかったものである。



星新一は、むずかしく書こうと思えばいくらでもむずかしく書ける題材を好んで取り上げている。
それを実に平明にそしてお気楽に読めるように書いたところに彼の真骨頂がある。

それがどれだけ高貴な精神にのっとって書かれていることか!





そして、まだこれだけではない。
もうひとつ星新一が与えた大きな影響がある。

「奴隷精神に甘んじていた日本人にオリジナリティが持つチカラを教えた」のである。

アラ? ちょっと小林秀雄が入ってしまった。もっと平明に書かなければ!
えーと、

「新鮮な視点が命なのだ、という意識をその優れたエンターテイメントをもって日本人の潜在意識にうえつけた」

うーん、まだ小林秀雄が入っているなぁ。
えーとえーと、


「アイディアとオリジナリティがいちばん大切なのだ」と楽しく教えてくれたぁのだ!


……こんどはバカボンのパパが少し入ってしまったが。





彼の書くショート・ショートは「新鮮な視点」に満ちていた。
イヨーな質の高さである。
これが努力と根性で何事でもなせると思い込んでいた当時の日本人に、たいへんな知的革命を起こしたのである。

しかも、それを出し続けた。
1000編以上である。これはどんなお説教より心にひびく。
苦しそうな顔もせずに長年体現し続けてくれたのである。



こうして我々は、モグラの目をも開かされた。

アイディアとオリジナリティって奴こそ、一番大事なのではないか?
努力と根性だけではこれからはいけないのではないか?……



そう、これは日本の国際化、近代化にかかせない意識革命であったのだ!
(なんだか新年早々大きな話になってきてしまったが)。





それにしても!
努力と根性の象徴にして大御所であるお方のお名前が同じ「星」ということはなんと皮肉なことでしょう!



そう、星飛雄馬的発想から星新一的発想へ、時代は大きく変わっていくのでありました。



その視点の新鮮さ。
誰が読んでも理解できる表現の平明さ。
いま読んでも古さを感じさせない、その抜群のオリジナリティ。
そしてブンガク的に言えば、その独特なる抽象性、文体のイヨーなまでの透明感……


まさに世界に通用する数少ない日本の「文化」のひとつなのであった。


たかがSFショート・ショートというなかれ。
偉大な思想者たちは、では果たして彼のような「シンプル化」という努力をしただろうか。
その思想をわかりやすく我々に示し、時代を動かしただろうか。




あらゆる意味で、星新一は近代日本の創始者なのである!
国民葬にしてもいいではないか!




体調をくずして寝たきりだったボクは、新聞・TVのそのあまりに小さい扱いに怒り、ベッドで大暴れしていたのであった。

看病してくれていた優子にはたいへん迷惑だったのだった。





P.S.
ちなみにボクが好きなのは、いろんな人が支持しているから悔しいんだけど、
新潮文庫刊「妄想銀行」に入っている「鍵」という短編です。

「なにもいらない。いまのわたしに必要なのは思い出だけだ。それは持っている」

なんと耽美な結末だろうか。



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