ひめゆりの塔にて  --98.04.23




新入社員の頃だったか。



グアムへの安チケットが売り出されていたので、なにげなく
「グアムでも行ってのんびりリゾートしようかなぁ」とつぶやいた。

それを聞いていた父親が、しばらくたって、こう言った。


「グアム島では日本兵がたくさん死んだ。
 オレはそういうところで遊ぶ気にはなれないな」


別にきつい言い方ではなかった。
つぶやきに近い低い声。

「でも・・・ボクには関係ないしなぁ・・・」

ボクもつぶやき返す。
関係ない、というのは本音でもあった。
だって、それを言ったら、この東京でも何十万人と戦争で死んでいるし。

その時はそれ以上の議論にはならなかった。
父親も言いたいことをかなり我慢したのだろう。
それともどうせ通じないとあきらめたのか・・・



でも結局グアムには行かなかった。
まぁ気持ちはわからないでもなかったし、確かに失敬なことかもしれない、という納得もあったから。




短い会話であったが、どうにも父親のつぶやきはボクの心に深い呪縛として残ったらしく、それ以来、日本人が戦争でたくさん死んだ島へは遊びに行っていない。
友達なんかに誘われても「いやぁ南のリゾートはあんまり興味なくて」と断っているが、本当は父のつぶやきがどこかから聞こえてくるからだ。

父が死ぬまで、ボクはとりあえず南の島へリゾートで行くことはないだろうな、となんとなく確信している。

いや、父が死んでからだって、「戦争」を自分の中でそれなりに消化するまでは、行かないかもしれない。






いま、沖縄に出張で来ている。

大学時代、父のそんな想いをまだ知らない頃、久米島に友達と来たことがある。
それ以来、である。



ちょうど義理の父が那覇に単身赴任しているので、仕事が終わったあと有給休暇をとって妻の優子と娘の響子を呼び寄せ、しばらく沖縄に滞在することにした。(たった4日だけど)




沖縄は第二次世界大戦のとき、米軍の本土上陸を一日でも長く阻むための持久戦として県民が根こそぎ動員されたところである。

日本人が、しかも軍人でない民間人が、大量に犠牲になった島である。




そういう島の土を踏むに当たって、またあの日の父の言葉が心に蘇った。

「オレはそういうところで遊ぶ気にはなれないな」・・・

出張で行くのだし、その後の家族滞在だって別にキャーキャー遊ぶわけではないけれど、父の言葉はまだ呪縛として残っている。





せめてちゃんと沖縄を知ってから行こうと思った。



ボクは沖縄戦について何も知らない。社会人として恥ずかしいくらい何も知らない。

大阪で偶然見つけた沖縄専門ショップで本を買い込み、出張前に急いで読んだ。
そこにはまさにボクの知らないあの島のむごたらしい過去が書かれていた。

読んだ本は次の四冊。


  「私のひめゆり戦記」  宮良ルリ著/ニライ社
  「ひめゆり教師の手紙」 玉代勢秀文・玉代勢秀子著/ニライ社
  「初年兵の沖縄戦記」  仲本潤宏著/那覇出版社
  「沖縄 平和の礎」   大田昌秀著/岩波新書


どれも強い印象をボクに残した。
まぁいままでそれだけ問題意識の薄い毎日を送ってきたということなのだけれどね。
特に印象に残っているのは一冊目。現在ひめゆりの塔がある場所、旧第三外科壕で奇跡的に生き残った女子師範学校の生徒の手記である。

沖縄の地を踏むのがちょっと心苦しくなるような内容である。
よし、一日つぶして、沖縄の南部戦線をたどってみよう。
そう心に決め、出張に出たのだった。






仕事が終わり、フリーになった。
家族は明日、沖縄に入る。今日は全くひとり。自由である。

昨日までのうっとうしい天気から一転して今日はド快晴。
レンタカーを借りて那覇から南にまわる。



暑い。
まだ4月だというのに、南国の太陽は強烈だ。




ひめゆりの塔、 ひめゆり平和祈念資料館、 平和の礎、 県立平和祈念資料館・・・




修学旅行と同じ道筋だったらしく、わりと混んでいる。

女子高生など、展示された写真などを見て気分が悪くなる子が多いらしく、ベンチに蒼白な顔をして座り込んでいる子がそこにも、ここにも。


確かにひ弱な問題意識など吹き飛ばされるような現実が、そこにはあった。















人間というのは意外と想像力がないもので、戦争体験にしろ何にしろ、本当のところは「実際に体験してみるまではぜんぜんわからない」ものだ。

だから、実際にひめゆりの壕(余談だが、女子学徒隊を「ひめゆり」などと称して後生の人がお涙頂戴風に演出するのは、いかがなものかと思う)を見たり展示の写真を見たりしてその気分に浸っていても、結局は「他人事」なのである。
自分とは関係のない遠い世界の物語なのである。

例えて言えば、
他人が「病気ってこんなにつらいのよ!健康を感謝しなさい!」っていくら言ったって、健康な人には実感として伝わらない。

それと一緒だ。





ただ、実際にひめゆりの壕をみたり展示の写真を見たりすることで、他人の戦争体験が自分の「個人的体験」にはなる。

病気の例えで言えば、悲惨な闘病生活を実際に見舞うようなものだ。
「病気ってこんなにつらいのよ!健康を感謝しなさい!」って言葉がようやく自分の心の中に巣くってくる。



戦争体験を後世に伝えるならば、これしかないのではないかとボクは思う。



どんなに「戦争はいけない!過ちを繰り返してはいけない!」と熱弁をふるったって、病気のつらさと一緒で他人には伝わらないものだ。

そう、だから、個人的に見て個人的に感じるしか、ない。





戦後の平和教育がどうにも空回りして感じられるのは「戦争はいけない!過ちを繰り返してはいけない!」と声高に語るだけで、若い世代に「個人的に感じさせる」ことを怠っているからではないだろうか。

戦争の醜さを、戦争の悲惨さを、後世に伝えたいならば、言葉で語るだけではだめなのだ。

言葉だと、どうしても教訓とかお説教とかになってしまう。
「平和を感謝しろ」と、感謝の強制までしてしまうであろう。

それでは絶対伝わらない。



教訓とかお説教とかになった途端、他人は(特に若い人達は)耳を背ける。
背けるどころか反発する。ほっておいてくれと思う。
オレには関係ないと思う。

たとえ耳を貸しても、実感としてわからないままに「戦争は悪い」と植えつけられるだけだ。



それはそれで「思想統制」ではないのか?





戦争を知る世代が戦争を知らない世代に向けて、少しでも教訓めいたことを言ってしまうと、もうそこにコミュニケーションが成立しなくなる。

とにかく若者(一応、ボクを含む)を信用して、感じさせることだ。
それを国も民間も怠っている。
感じさせる機会や施設がなさすぎる。

このままでは戦争体験は老人たちの自己憐愍として風化することは間違いはない。










新入社員の頃だったか、父親はこう言った。

「グアム島では日本兵がたくさん死んだ。
 オレはそういうところで遊ぶ気にはなれないな」



言いたいことは山ほどあっただろうに、
教訓やお説教をたれなかった父親に、いまボクは非常に感謝している。

教訓やお説教や上からの押しつけがあったら、ボクは沖縄に来てもこんなところまでわざわざ来なかったと思う。

おかげで、自分の目で、ボクなりに戦争を体験できた。







グアムに、リゾートがてら戦争体験をしに行くのもアリなのかもしれない。
目を背けて行かないでいるよりいいのかもしれない。

今日、そう思った。




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