やぶへび大出費  --98.07.30




イヤ、部長、

あ、部長がイヤなんではなくて、いや、部長、

そういうことではなくてですね、出来れば夜は家に帰ってきたい、と。


ええ、出張するのはいいんです。もちろん。仕事ですから。

毎年この時期、出張が多いのはわかっています。

去年は1ヶ月で20日出張してましたし、一番すごかったのは4年前の8月ですね。1ヶ月で30日!さすがにあの時は・・・や、「ウソ?!」って部長! 一応部長の命令ですからね、ええ。

そうですね、あの時は1ヶ月で1日しか家に帰りませんでした。
え? 結婚してましたよ。はい、そりゃ危なかったですよ。まだ新婚でしたからね。
でもまぁこういう仕事ですからね、わかってくれないと困りますし。

ええ、だから出張自体を拒否しているんじゃないんですって。

泊まりがけの出張は、ちょっと、というだけなんです。

いや、1泊くらいはいいんです。でもこの予定だと4泊ですよね。これはちょっと・・・。

理由?

理由はですね、ちょっと個人的なんですが・・・

いいですか、はい、

はっきり言うとですね、





臭いんです。





いや、部長が臭いんではないですって。

部長が臭いなら逆に出張行きますよ。いや、ボクの足が臭いわけでもないです。だから口でもないですって。


そうじゃなくてぇ、

臭いのは・・・実は・・・





響子なんですよ。




ええ、3歳になる娘です。



ボクが出張に行くと臭くなるんです。

そりゃぁもう、半径3メートル以内は近づけないですね。ええ。





実はですね・・・ボクとしかお風呂に入らないんです。

はい。妻の優子とは入ってくれないんですよ。
ええ、シャワーもダメ。嫌がります。

これにはいろいろ歴史がありましてですねぇ。

まず、水を怖がるようになったんです。

御存知の通り、ボクは鮎釣りをするんですが、1年前、響子が2歳の時に家族で鮎を釣りに行ったんですよ。

そのとき響子は、まぁ大人しく川の浅瀬で遊んでいたんですが、
ほよっと足を滑らしましてですね、

川に沈んだんですね、はい。

浅瀬ですから20cmくらいの深さしかないんですが、まぁ2歳児ですからね、20cmでも沈みます。

ボク達すぐ近くにいたんですが、まぁほんの数秒とはいえ川に沈み、浅瀬で流れもすごく緩やかとはいえとにかく流れにまかれたこともあって、すぐ助け出したんですがそれはもう怖い思いをしたらしくて。

ええええ、子供なんて10秒もあれば溺れちゃいますよね。
危なかったんです。助かって良かったです。

ええ、ありがとうございます。

でもとにかく「水は怖い」という印象がとても強く擦り込まれてしまったみたいで、もうそれ以来水に近寄りません。

典型的「幼児体験」ですね。


そのうえ、バスタブで滑りましてね。

ええ、あれは冬でしたでしょうか。
やっと恐怖心を取り除けたかなぁ、とホッとしていたら、優子と入っているときにバスタブでこけて沈みまして・・・

ええ、もうダメ押しです。

今年から幼稚園に入園したんですが、夏は幼稚園でプールがあるんです。でもプールを怖がりましてね、クラスでこの子だけプールに入らないらしいんです。

先生がなだめすかしても泣き落とししても入らないそうです。

やっぱり「川&バスタブで顔が水に沈んだ記憶」が邪魔するんでしょうね、顔に水がつくことを異様に嫌がるんですよ。

ええ、子供って大なり小なり顔に水がつくの嫌がるんですけどね、まぁこれが尋常ではなく嫌がるんです。

嫌がるというより、あれは怯え、かな。

ええ、そうなんです。
つまり、髪の毛が洗えないんですよ。
髪の毛洗うときって少しは顔に水ついてしまいますからねぇ。

シャンプー・ハット?
ああ、それに近いものも試しましたがダメでしたね。

身体を洗うのは許してくれるんですが、とにかく髪はダメ。




親としてもそれでは困るんで、響子が虫を怖がるのを利用して

「頭臭いと虫クン来るよ」

と脅すんです。

そうすると文字どおり泣く泣く髪を洗わせてくれます。

で、これ以上水を怖がったりするとまずいんで、ボクは慎重かつ細心の注意を払って顔に水がつかないように髪を洗ってあげ、「ね、怖くないでしょ」と言い聞かせるんです。

優子はそれがどうも不得意でして。
イライラしちゃうんですね。

いや、3回に2回はちゃんと洗えるんですが、残りの1回でキレてしまうんですね。


「そのくらいで泣くんじゃない! 泣くな!」
「ギャビギョエゲー!」
「泣くな!」
「ギャビギョエゲー!」
「泣くな泣くな泣くな!!!」
「ギャビギョエゲー!」


優子は性格がわりとアバウトなんで、何かの拍子にちょっと水をつけちゃったり目にいれちゃったりするんですね。
んで、響子が泣き叫ぶ。
気を使って洗っていた優子もキレる。
響子はもともとお風呂が怖い上に、水はつくは母親にどなられるはで地獄の思いをする。

で、もう完璧にお風呂嫌いです。
正確に言うと「優子と入るお風呂が嫌い」になってしまったんですね。


ただ、お風呂に入らないと頭に虫が飛んでくる、という強迫観念はあるようで、それは怖い。
だからお風呂はイヤだけどなんとか我慢して入ろうという意欲は見せるんですよ。けなげですよね。

でもどなる母親とお風呂に入るのは地獄すぎるので、そういう失敗の少ないボクとしかいつしか入らなくなったわけなんです。

ボクが会社から帰ると、顔を見るなり
「おとーさん! 虫クン来るヨー! 一緒にお風呂!」
とせっぱ詰まった顔でせがまれます。

会社の仕事より細心の注意が必要な「響子の髪洗い」は疲れた身体には苦痛でしかないんですが、あ、いや、会社の仕事も細心にやってますよ、もちろん。言葉のあや、ですよ、ええ。

まぁ、とにかく一日走り回って汗かいた響子の頭はすでに臭すぎですから洗わないわけにいかないんですね、どんなに疲れていても。

ええ、優子は一生懸命「おかーさんと一緒にお風呂入ろう」と口説いていますが、もう響子の心はかたくなになってしまって、優子が「おかーさんと一緒におふ・・・」と言うと、もう泣き叫びながら家中逃げ回るんです。


ギャビギョエゲ〜!


どんなに機嫌が良い日でも「おかーさんと一緒におふ・・・」あたりまで優子が言っただけで泣き叫びモードに突入です。

もうね、優子は焦燥しきってますよ。
ええ、だって毎日のことですからね。



つまり・・・

もうわかっていただけましたよね、部長。


ボクは響子をお風呂に入れないといけないんです。

夏は2日が限度なんです。頭洗わないのは。

3日目になると生ごみが歩いているようなもんです。そう汗かきなんですよ、響子。

子供がいる他の家庭に遊びに行かせるのも恥ずかしい、と優子は言います。
幼稚園の夏休み学級に行かせるのも勇気がいるレベル。

ええ、部長だって抱けませんよ、あの頭の臭さでは。


・・・ですからこの出張、なんとか2日になりませんか?


やっぱり難しいですかねぇ・・・。
たとえば2日目の夜一回帰ってきて、
また次の朝にとんぼ返りしてもいいんですが・・・。

え? 経費がかかる?

うーん、そうですよね・・・新幹線往復代が・・・

え? 自腹で帰ってきて自腹で戻れ?
いや、だって、往復2万5000円くらいするじゃないですか。


それはキミの個人事情だから・・・ってそりゃまぁそうですけど。
でも2万5000円かけて髪洗いに帰るのもなぁ。


は?
いや、もちろん家族は大事ですよ。

いや、だから、家族を思うから髪洗い係をもって自らを任じているわけで・・・


いや、出張が短くならないなら諦めますよ。
社費でとんぼ返りというのも無理でしょうから、ね、もういいですよ。諦めますから。

そういう意味じゃなくて、もし短くなったらうれしいなぁ、と思っただけで・・・。

え?それでは優子も響子もかわいそう?

いや、帰れなかったらしょうがないですよ。もういいですよ。


は? 冷たいってそんな・・・

だって往復2万5000円払ってまでは・・・第一新幹線の往復って疲れますし、

それに部長、そんな言い方ないじゃないですか。


え? いや、だから、この出張は2日で出来ないことないですし、

は? そんな、、、仕事は真剣に考えてますよ、何を・・・

いや、だったらいいですよ、自腹で帰ってきますよ!
ええええ、ボクは仕事と家庭を両立させる男ですからね。
ゴルフ1回したと思えば2万5000円くらい高くないっすよ。
ええ、もう部長には頼みません!

こうなりゃ意地でも・・・


いいです! いいんです! 結構ですっ!

仕事と洗髪を両立させてこそ、父親です!

ええ、ではそういうことで出張行ってきます。

はいはい。そうっすね。ええ。気を付けます。

行ってきますからね!
行ってきますよ!
行ってきちゃいますからね!

ええ、もちろん!
2日目の夜帰ってきて、3日目の朝にまたあっち行きます。

疑うなら電話くださいよ。2日目の夜、自宅にいますから。

ええ。はい。では、行っちゃいますよ。
新幹線に乗り遅れますからね。ええ、行っちゃいます。

それでは!

え? なにか?
はぁ、なにもない・・・と

ふん、では行ってくるざます!

あー、お熱い出張になりそうだこと。ぐぐぐ。


















ちくしょ、25000えん・・・




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